1/23 コジラセ・オタク・コンプレックス(碧衣)

お風呂は命の洗濯だって、ミサトさんも言っていましたね。



こんばんは、碧衣です。
ちらちらとブログでも書いているように、私はとあるジャンルで二次創作字書きをやっています。
説明するまでもないですけど、二次創作において字書きってのはとにかく肩身が狭い。生み出しているものが小説である、ということを補ってあまりあるほどの社交性やコミュ力がなければやっていけないな~と最近つくづく思います。

当たり前のことだというのは分かります。文字に比べて絵は圧倒的に伝わりやすいんです。わざわさ時間を割いて文字を追わずとも楽しめる。
当然、絵というだけでいいねやRTの数は小説などとは文字通り桁違いです。

絵は絵であるというだけでアドバンテージなので、交流が苦手で壁打ちアカウントで黙々と投稿しているだけでもそれなりにフォロワーが増える。でも、小説で同じことをしたらフォロワーなんて増えません。社交性、コミュ力、フォロワーの多い絵描きと親しい……そういう、小説であるというディスアドバンテージを補える何かがないと、目に留めてもらうことすらできません。

もちろん、そんなふうに絵と文字を比べたって何の意味もないことも分かっています。
絵には絵の魅力があり、小説には小説の魅力がある。相当な綺麗事ではありますが、確かにそれは真実です。


自分の外にある基準と比べていたら簡単に心は折れる。だから、ただひたすらに自分の中にある理想を追い求め、前の自分よりほんの少しよいものを書けたかどうかを気にした方が、精神衛生的にはいいのでしょう。


でも、ほんの時々、なんですけど。
そんなに目を惹くほど上手い訳でもない、キャプションでそのキャラだと明言されているから何とかそのキャラだと分かるようなイラスト。もしくは、確かにそのキャラだとは分かるし綺麗ではあるけれど、キャラクター解釈が原作と乖離してしまっている漫画。
そういうものが、ただ絵であるという理由だけで、自分がしっかりと解釈を練って書き上げた自信作の小説と桁違いの反応を受けているのを見てしまうと、どす黒い気持ちが湧いてしまうのは、どうしようもないと思いませんか。
もちろん、そういう絵を描いている人だって、その人達なりに努力をし練習し、そうして心を砕いて描いたのだろうことは想像できます。
だからこれは、弱小字書きの本当に浅ましい羨望でしかないのですけど。でも、同じように感じている字書きは、案外多いんじゃないのかな、とも思います。

暗い話になってしまって申し訳ない!
俺はすべての字書きの味方でありたいよ。