10/25 善なるものたち(碧衣)

仕事って、よくよく考えたら凄まじいですよね。いったい何の権限があって一日の三分の一を占有しているんだ?と。
せめて、その三分の一が苦痛でなくなってほしいな、と祈っています。
これ以上は、なんだか照れくさいので立花さんに別途私信で送ります。


せっかく立花さんが本音を吐露してくれたので、私も本音からの愚痴を吐き出してみようかなと思います。
ものすごく有りがちなんですが、いわゆる交流疲れと言うやつなんでしょうね。二次創作において作品を載せたりする際のツイッターアカウントを持っているわけですが、最近はもうそのアカウントで交流するのが果てしなくて面倒になってきた。交流、というのは例えば、同じキャラやCPを推している他の人の作品をリツイートして感想を書く、みたいなことです。少し前まではそれでも無理して絵や小説に対してリツイートしては感想を書いていたんですけど、もう最近はすっかりやめてしまいました。
少しでも気に入らないツイートをする人はすぐミュート、リツイート後の感想は極々限られた人と作品に対してのみ、他はせいぜいいいねだけ、義理いいねはしない……半ば吹っ切れてそんなふうに心のままにツイッターを使い、交流的なことをやめてみたら、やっぱり楽でした。たぶん、もともと交流するのが性に合っていなかったんでしょうね。もちろん、ある程度の承認欲求があるから小説など書いているわけですが、多くの人に見てもらうために、嗜好の近い人と積極的に交流する、ということが絶望的なほど向いていなかった。
また、これは自分の中の解釈が固まってくると、ある種必然なのかなとも思います。はまり立ての頃はどんなシチュエーションでも美味しく味わえていても、自分でキャラやCPに対する理解と解釈を深めていくと、どうしたって「このキャラはそんなことしないでしょう」、即ち解釈違いが起こりやすくなる。以前は好ましく思えていたフォロワーのツイートも、今はどうしても耐えられない、なんてこと、あるんですよね。

そんな感じで、最近はTwitterではただ作品に関する告知だけをして、たまに勝手に妄想を呟いておく、みたいなアカウント運用をしています。タイムラインは流し見程度で、あとはひたすら書く、書く、書く!!結局、そうして己のために文字を書いているときが一番幸せだったりします。もはや誰にも見せたくない、(私は傲慢なので)頓珍漢な感想を投げつけられて己の力量不足に悩むくらいなら、公開したくないとすら思います。最近はもはやリツイートやいいね、ブックマークのような数字で見える評価もだんだん気にならなくなって、ただ自分が満足いく話が書けたかどうか、それだけを追求したい気持ちです。

長くなってしまった!!!
こうして文字にしてみると、自分の我が儘具合と幼稚さが目に見えて少し凹みますね。

外は雨です。こわいものが来る前に寝ましょうね。