10/15おなかがすいた碧衣

立花さんが教えてくれた「虚空で踊れ」、読みました。面白い漫画を教えてくれてありがとう。

https://mobile.twitter.com/utsue_k/status/1447487652274446345

なんといえばいいのか……感想というか感情になつてしまいますが、読みながらとても苦しかったです。共感するところもあれば、できないところもあって(まあどんな作品だってそうですが)。
立花さんも知っての通り私は今二次創作でひたすら小説を書いているので、主人公の「それでも踊り続けるのだ」はとてもよく分かります。

小説を書くということ、あるいは文字を書くということはひたすらに孤独です。というよりも、孤独でなければなりません。
ひたすらに考え反芻し悩み、書いては消した果てに自らが表現したいもの、伝えたいものがあるはず。そう信じて、目の前のスクリーンを見つめキーボードを打ち続けることしかできない。
本当なら、小説なんて書かなくてもよいのです。書く度に自らの力不足に打ちのめされ、己の思考の浅薄さに絶望することになる。それでも、私が書かねば生まれない、あるいは伝わらない何かがあると痛切に信じているからこそ、書かずにはいられない。踊り続けるしかないのです。

一方で、これまた立花さんも知っての通り私には子供がいることもあって、主人公の親の気持ちもよくわかります。
小説を読み、小説を書くことの幸福は確かに何者にも代えがたい。けれど同時に、小説からは絶対に得られない幸福だって、数え切れないくらいあるのです。私たちは肉体に縛り付けられた人間ですから、視覚だけでなく様々な感覚で世界を察知します。
春の光の輝き。夏のうだるような暑さ。秋を彩る実りの芳醇な味。冬の朝のしんと澄んだ香り。あるいは、誰かと交わす言葉の小気味よさや、己からはうまれない価値観との衝突だとか。そういったものを自分の肉体と精神で経験することもまた、本来文字では表現しえないものを文字で表現するための糧となると思うのですが、どうでしょう。

立花さんが言及していた「創らなければ、自分は天才だって、幻想の中に浸っていられる」、これを読んだときに私が咄嗟に連想したのは、朝井リョウの「何者」に出てくる台詞でした。
「頭の中にあるうちは、いつだって、なんだって傑作なんだよな」
(原本を見ずに書いているので細かい箇所が違ったらすみません。)
本当にその通りだなと思います。頭の中にあるうちは何だって傑作だし自分は天才でいられます。それを形にしてしまえば、思い描いていたはずのものを欠片もうまく表現できない自分に落胆することになる。
けれど、だからこそ。そんな落胆を乗り越えて作品を世に放つ創作者たちの姿は、私たちの目には星のように目映く映るのでしょうね。

自分が小説を書いているということもあって、つい熱く語ってしまいました。
あんまり長くてもあれなので、今日はこの辺で。
今週も一週間、お疲れ様でした。